Let it be..

なんとなく、出会った文章に感銘を受けた。

でも、なんとなく、僕の文章の書き方と酷似してる気もする。


「カトリシズムとプロテスタンティズム−ふたつの"Let It Be"」

When I find myself in times of trouble,
Mother Mary comes to me,
Speaking words of wisdom, "Let it be."
And in my hour of darkness (in my darkest hour),
she is standing right in front of me,
Speaking words of wisdom, "Let it be."

僕が悲しみの淵に沈んでいると、
Mother Mary が現れて
叡智の言葉をくださいました「放っておきなさい」
あたりが暗闇に閉ざされると
Mother Maryが目の前に立ち
叡智の言葉をくださいました「そのままでいいのです」

   "Let It Be"はポール=マッカートニーの手になるビートルズ末期の名曲として、日本でも非常に人気の高い曲である。しかし、この曲の歌詞ほど、日本人に誤解を持って受け取られるものもない。以下、この曲にこめられたポール=マッカートニーの真意について一考察を加えてみたい。

 "Let it be."−「それ(一般的状況)をそのままにしておく」−という言葉は、捕らえ方によってはきわめてあいまいな言葉と言わざるを得ない。「なるがままにせよ」「そのままでよい」と言われたとき、一般の日本人なら、「人事を尽くして天命を待つ」という能動的・積極的な意味と、「神頼み」「後は野となれ山となれ」という責任放棄的消極論との、両方のイメージを感じ取るに違いない。実際この曲に対する後者の歌詞理解をもってすれば、この曲は「どうせなるようにしかならないのだから、今さらじたばたしたってしょうがないじゃないか、いさぎよくあきらめよう、それが人生というものだ」という、諦観的人生論を語ったものであると(皮肉交じりに)語る人がいるのも確かである。しかし、それは正しいのであろうか。

 まず最初に確認しておかなければならないことがひとつある。曲中"Let it be."の言葉を語る"Mother Mary"とは何者かということである。Mother Maryとは一般的には「イエスの生母であるマリア」すなわち「聖母マリア」のことであるとされる。当然マッカートニーは、何の予備知識もない聴衆がこの曲を聞いたときに、「Mother Mary=聖母マリア」と考えるであろうと想定したことは間違いないであろう。しかし、彼の言葉によるとMother Maryとは決して聖母マリアのみを指していたのではないことが分かる。

「60年代には僕にとってひどいことがたくさんあったが、僕らは−まあいつも麻薬をやってたからだろうが−ベッドに横になっては一体どうなるんだろうかと考え、偏執狂的にくよくよしたりしたもんだ。そんなある晩、僕は母親の夢を見た。彼女は僕が14歳のとき死んだから、彼女の声は長いことぜんぜん聞いていなかった、だからとってもうれしかった。それで僕は力が湧いてきて『僕が一番みじめなときにメアリー母さんが僕のところへ来てくれた』って文句が思いうかんだ。僕はジョンやパパが出てくる夢も見るが、不思議なことだ。まるで魔法みたいだ。もちろん、彼らに会っているわけじゃなくて自分自身かそれとも何かほかのものに出会っているんだけれどね…」(『ブラックバード ポール・マッカートニーの真実』ジェフリー・ジュリアノ著 伊吹 徹訳 音楽の友社刊 p141-142 より)

このマッカートニー自身の言葉によると、Mother Maryとは彼自身の母で、彼が14歳のときに乳癌で亡くなったMary McCartneyのことであるという。しかし、事情を知らない一般のリスナーはやはりMother Maryと言えば聖母を思い浮かべるであろうから、この曲におけるMother Maryとは、マッカートニー自身の母と聖母マリアの掛詞(かけことば)であり、もし映像表現するとするならば、「聖母マリアの姿をして登場したメアリー=マッカートニー」を想像するのが適当であろう。さて、それでは、「聖母マリアの姿をして登場したメアリー=マッカートニー」が語る"Let it be."には、どのような意味がこめられているのだろうか。

 ここで問題になるのは、西欧キリスト教における「救い」に関するふたつの立場である。西欧(アメリカ大陸含む)におけるキリスト教の二大勢力と言えば、ローマ=カトリックプロテスタント諸派である。この両者は16世紀の宗教改革以来、時には対立し、時には妥協を続けてきたが、ともにヨーロッパ精神史の中で大きな位置を占める存在である。以下、それぞれの特徴について関単に述べよう。

 キリスト教の中でもカトリックは「因果応報」を唱える宗派である。すなわち、「人は生前の行いにより、死後神の裁きを受け、良きものは天国へ召され、悪しきものは地獄へ落とされる」という。額に汗して土を耕す農業は善とされ、時として不労所得を伴う商業は悪とされた(利子を取って金貸しをすることは最高の悪徳であった。そのためシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に見られるように、金貸しはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒の役目であり、しかも、一般のキリスト教社会では忌み嫌われる存在であった)。そのため、古来よりボランティア精神が奨励され、巡礼・寄付等の教会への奉仕も評価を受けた。教会の地位は大きく、人は教会を仲立ちとして信仰を行い、司祭、またそのトップとしての教皇ローマ法王)を仲立ちとして「救い」を得ることができた。その中で聖母マリアは、信徒にとってもっとも身近な存在であり、時にはイエス=神そのもの以上に親しみを込めて信仰の対象となった。日本語の「甘える」という言葉のニュアンスは欧米人には分かりにくいものであるが、「カトリック教徒の聖母マリアに対する気持ち」と説明すると、理解が得られるそうである。

 それに対しプロテスタント諸派は、救いに対する「善行」を前提条件としない。最初に宗教改革を行ったマルティン=ルターの説によれば、救いをもたらすものは「ただ、信仰のみ(Sola fide.)」であり、そこには生前の行いや教会組織の入りこむ余地はない。続いて登場したジャン=カルヴァンの思想は、近世ヨーロッパの人々の心にさらに大きな影響を与えた。

 カルヴァンの思想の特徴はいわゆる、救霊の「予定説」である。すなわち、「人が救われて天国へ昇ることができるか、裁かれて地獄へ落ちるかは、人事の及ぶところではなく、ずっと以前より神によって予定されている」というもので、これによれば、「善行を行おうが、悪行を積もうが、それは些細なことであり、より本質的な“救い”に関する問題は、その個人がこの世に誕生するずっと以前より、神によって予定されており、人間の行動はそれに何ら影響を与えない」という。しかし、それは、決して善行を否定するものでも悪行を奨励するものではなく、カトリックにおいては「悪人」であるとされた商人たちに、大きな福音を与えるものであった。すなわち、カトリックのもとでは、その「悪行」ゆえに、必ず地獄に落ちるとされていた商人にとって、職業に関係なく救いは予め予定されている。したがって、救いの問題に関しては、商売を生業とすることとは何ら関係なく、各人が神の定めたもうた「天職」を全うすることは、神の御心にかなう業であり、それによる営利や蓄財もまったく問題にならない−という思想は、まさに救いであった。このようにし、て西欧にまず「資本主義」が生まれたというのが、マックス=ウェーバーの説である。このカルヴァン主義は、新興商工業者の救いとなり、オランダやイギリスなどの商工業経済的先進地域に燎原の火のように広まった。そして、このカルヴァン教徒は、イングランドにおいては、彼らの清貧な暮らし振りから「清教徒ピューリタン(puritan)」と呼ばれるようになり、たちまち一大勢力となるのである。

 ともあれ、これらのことから見えてくることがある。すなわち、"Let it be."と言う言葉は、カトリック的に解釈すれば、

「できる限り精一杯の善行を積もう、何事にもベストを尽くそう。しかし、その結果を判断するのは神であるが故に、人間が口をさしはさむことはできない。マリア様の慈悲の心にすがり、救われることを信じて、今はじたばたせずに結果を待とう」

ということになる。

 一方プロテスタント的解釈では、以下のようなニュアンスを感じ取ることもできるだろう。 「自分が救われるか否かは、自分が生まれるずっと以前に神によって決定されていることであるから、そこに、努力の余地はない。自分の運命は自分では変えることはできないのだ。自分の行く末は、ただ神の思し召しのまま。だからどんなつらい現実にもじたばたせず、今は、ただ自分が“救われるのだ”と信じて待つほかはない。」

そして、これは、あくまでも最も悪い意味に解釈した場合ではあるが、「どうせ何をやっても無駄だから、あとは神頼み、運を天に任せよう。」という意味に解釈できないこともない。しかし、マッカートニーはここで、どちらのニュアンスを選択したのだろうか。

 当然、ここで重要になってくるのは、作者ポール=マッカートニーの宗教は何かという問題である。ポールの父ジェームズはイギリス国教徒であったが、決して敬虔な教徒ではなく(『Yesterday ポール・マッカートニーその愛と真実』チェット・フィリッポ著 柴田京子訳 東京書籍刊 p26)、母メアリー=モーヒン(旧姓)はカトリックであり、死ぬまでその信仰を守った(前述『Yesterday』 p27)。複数の資料によると、ポールは弟のマイクとともにカトリックの洗礼を受けている。(『Yesterday』p28、『ブラックバード』p26、『ポール・マッカートニー』クリス・サルウィッチ著 向 七海訳 音楽の友社刊)これらのことから、ポールの母メアリーと、ポール自身はカトリック教徒であったことが分かる。しかし、父ジェームズは、プロテスタントに分類される「イギリス国教会」の信徒である。ここに父の影響は見られないのだろうか。

 McCartneyは、典型的なアイルランド系の姓である。アイルランドは現在でも大多数がカトリック教徒であることからも分かるように、カトリック的伝統が非常に強い地域である。イングランドに移住して長い年月が流れたとはいえ、リヴァプールアイルランドの真向かいでもあり、マッカートニー家にもカトリック的雰囲気は残っていたのではないか?また、英国国教会は形の上では「プロテスタント諸派」に分類されるものの、その出自から見ても、教義自体は極めてカトリックに近く、しかも、あまり熱心でなかった父ジェームズにとっては、プロテスタント的な考えは少なかったのではないかと思われる。ここにもう一つの資料がある。ポール=マッカートニー名義のソロアルバム、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」(1989)の中に、印象的な小品"Put It There"という曲があるが、その中に次のようなフレーズがある。

"Put it there, if it weighs a ton. That's what a father said to his young son."

(もし1トンもの重さがあるのなら、放っておきなさい。これが父が幼い息子に言ったこと。)

これは、まさに父ジェームズが息子ポールに語って聞かせたことである。この言葉はこのままでは「力の及ばないもにに対してじたばたしてもしょうがない」というプロテスタント的意味に取れなくもないフレーズだが、その次の一節、

"I don't care, if it weighs a ton. As long as you and I are here."

(もし1トンもあったって気にならないね。君と僕がここにいる限りはね。)

という個所には、「君と僕」が「ここ」にいて「何らかの行動を取る」という能動的な条件が示されている。このことから、父ジェームズがよく口にしていたという"Put it there."という言葉は、決して前述のような意味ではなく、「やるだけやってみろよ。でも1トンもあったんじゃどうしようもない。そうなったら、放っておいてもばちは当たらないだろうよ」という意味であろうと推察できるのである。

 すなわち、マッカートニー家は、敬虔なカトリック教徒の母と、カトリックではないもののカトリック的伝統を持った父と、カトリックの洗礼を受けた二人の息子(ポールとマイク)によって構成されていたことが分かる。このことから考えられることは、"Let it be."の言葉はポールの意図したところによれば、やはりカトリック的能動的な、

「できる限り精一杯の善行を積もう、何事にもベストを尽くそう。しかし、その結果を判断するのは神であるが故に、人間が口をさしはさむことはできない。マリア様の慈悲の心にすがり、救われることを信じて、今はじたばたせずに結果を待とう」

という意味であると結論づけたい。

 今回このようにして、"Let it be."の意味に一つの結論を与えてみた。しかしながら、音楽は生き物である。有名な曲になればなるほど、作者の手を離れて一人歩きをはじめる。この"Let It Be"もその例に漏れない。この曲を聴く一人一人の聴衆が、一つ一つの思いをこの"Let it be."の言葉にこめながら、この曲を聴いている。それはそれで何の問題もない事実であろう。