卒アル

中学校のときの担任の先生から連絡があった。
狩野さんが結婚するんだと。

ん?狩野さんって誰だ?

昨日、その知らせを聞いて、何年ぶりかに中学校の卒アルを開いた。で、狩野さんを探してみたが見つからず、10分くらい経って、狩野さんのことなど、どうでも良くなっている自分を発見する。


高校の鬱屈した時代とくらべ、中学は僕のなかではけっこう思い出深い日々だ。たぶん、何も知らなかったからこそ楽しい日々なんだろうが、高校に入って1年強くらいは、中学のときの友達とつるんでいたことを思い出すと、なんだか切なくなるくらいあの頃が懐かしい。


で、なんで1年強かと言うと、彼ら彼女らのほとんどが、1年強で高校を辞めて働き始めてしまったからだ。

僕の行った高校もたいがいDQNな高校だったが、ヤツらの行ってた高校の英語の授業では、Hello, How are you?が初めの授業で習ったことのようだった。


中学校の卒アルを見回しながら、とても懐かしい気持ちに浸ってしまった。ヤンキー文化が衰退する過渡期だったその頃、ガンガンに尾崎豊を聴きながら、15の夜を体現していた僕は、いま大学院生。。



15の夜


とてつもなく皮肉な気がする。


以前、友達が言っていたが、同窓会って20年後とかに、

「え?お前誰なん?」

ってくらいのころにやるのが
一番面白いっていうのは正しいと思う。


たぶん、今やっても「仕事が忙しい」とか、
話題はそんな些事で現状報告に終わって、
携帯やらミクシーの連絡先を交換するようなもので、
熟練離婚や不倫、子供の問題や老老介護はおろか、
人生の無常やら、達観やらを感じることはないだろうし。



いやはや、しかしながら、インターネットって恐ろしい。
卒アルから、何人かピックアップして、検索してみたら、
ブログやらなんやらが出てきまくる。


彼等が今どこで何をやってて、
どんなことを考えているかなど、
知ったこっちゃないんだが、
インターネットに名前を公開すると、
こうも簡単に分かってしまうんだと、
驚愕の時だった。


プライバシーもへったくれもない。


坂本龍一が、
これからは、いかに情報を公開するかではなく、
いかに情報を公開しないかが大事だと言っていた意味が、
なんとなく分かりかけている。