映画"Waking Life"より

けっこう久々にハマった映画だ。




「自滅的なヤツは、いつも強い疎外感をもって孤独を感じている。 社会から外れたアウトサイダーだ。 自分はイカれてるに違いないと思ってる。 だけど、そいつが分かってないのは社会もそいつと同じように、破滅的な傾向があるってことだ。

戦争も飢饉も洪水も地震も「必要悪」なんだ。 人間はカオスを欲している。不況に争いに暴動に殺人などの出来事に、無抵抗に引きつけられる。まるで、死や破壊の悲惨さを楽しむかのように。

もちろんメディアはそういったものに「悲しい顔」を向けて、人間の大きな悲劇として報道する。だけど、知ってのとおりメディアの役目は、そんな世界の悪を撲滅することではない。やつらの仕事は、「悪に慣れ 受け入れて 生きろ」と言うだけだ。

権力者はみんなに受け身の傍観者でいてほしいのさ。奴らが俺たちに選択肢を与えるときは、たまにやる、純粋に象徴的な、いわゆる選挙の時だけだ。 右の人形が良いか?左の人形が良いか?」


「そろそろ俺も自分自身の足りなさや不満を社会政治的ではっきり分かる行動に移すときが来たと感じている。」


「俺の声なき声を聞かせる・・」
  ↓
焼身自殺)


「不完全であることから創造は生まれる。フラストレーションや渇望が創造の源になる。 そうやって言語も発達した。産まれるのはそこから。

つまり人間は 孤独な状態を乗り越えるたいという欲求がああり、互いに関係を持ちたいという欲求がある。

生き残るための言語なら単純で、たとえば水なら、それに対する音を表現すれば良い
直接表現して表せる対象物なのだ。

でも言語の発達で興味深いのは、同じ音の記号システムを使って形のない抽象的なことを、お互いに伝え合うことが出来る。

欲求不満や怒りや愛をどう伝える?

わたしが「愛」というと その音が口から出て相手の耳に伝わる。そして、複雑な経路で脳の奥に入っていき、愛の記憶や欠落感に訴えかける。

相手は「理解した」って言うけど本当なのか? なぜなら、言葉は単なるシンボルであって、それ自体に生命はない。 人間が心に感じることの多くは 漠然としていて言葉には表せない。それなのに私達は言葉で思いを伝えるとき、相手と繋がり理解し合えたと感じる。

それはなにか霊的な力のこと。 それは、つかの間の感覚だけれど、
その感覚こそが、生きる目的でもあると思う。」


「映画とは本質的現実の再生。 現実を再生して見せるもの。
物語を伝える媒体に見えるが、ストーリーを語るなら文学の方が向いている。 例えばジョークがバーに小柄な男性が居たで始まる。文学なら小柄な男性がバーにいる様子をいろいろ想像できる。

でも映画の場合、ある特定のバーを想定し、ある特定の小柄な男性を見せてしまう。

アンドレ・バザンによると
映画の存在論とは写真の存在論と同じ、そこに時間の次元とリアリズムが加わる
つまり映画では主人公がそこにいることが大切。

バザンはキリスト教徒で当然ながら神を信じ、すべてを信じる。彼にとって神と現実は同じ。

だから映画が描くものは神の再生であり、まさにその瞬間。そこに神がいることになる。もし我々を撮っていたなら、神は今この瞬間ここにいて、我々すべてに関与している。映画は神の記録、神の姿をとらえたもの。

ハリウッドは映画は、物語の媒体にしようとした小説や物語などを脚色し脚本に基づき俳優に演じさせる。でも間違えている。脚本より 人間に基づいて撮るべきだ。その意味では、スターシステムは正しいストーリーより、演じる俳優に重点が置かれてる。

トリュフォーが言っている最高の脚本が最高の映画を作るわけではないと、脚本に縛られ過ぎるから・・・最高の映画は自由でないといけない。

確かに映画にも物語性があるだろう。それは音楽にも言える。
でも物語を考えてから作曲はしない。曲は瞬間に生まれる。映画もそうだ。

その瞬間は聖なる瞬間今も この瞬間も

でも我々は そんなことには まるで気づかない

映画がフレームに収めるから・・・聖なる瞬間と思うんだ。瞬間 瞬間が神聖に見える。でも実生活はどうだろう? 君のことを聖なる人と思ったら僕は口を閉ざす。
または その瞬間に埋没する。きっと僕は感極まり 君を見つめ泣き出すだろう
そうなれば君は居心地が悪くなるだろう・・・。

笑ってもいいのに
なぜ泣く?

なぜだかわからないが きっと僕は泣くだろう。やってみよう聖なる瞬間を感じるんだ!すべてが重層的だ聖なる瞬間それを感じようとする意識。映画の中で実際の瞬間があって、同時に俳優が別の現実を演じるのもそうだ!

今 わたしは聖なる瞬間を垣間見た!」


「そうそう。聞いた話なんだけど、ティモシー・リアリーは自分が死ぬ時に、自分の肉体が死んでかつ脳だけはまだ生きている瞬間というものが楽しみだ、って言ったらしいよ。体が死んだあとも6分から12分間、脳の活動は続くんだってさ。で、夢の中の感覚で1秒間ていうのは、起きてる時より、、、遥かに長く感じるよね。言ってる意味わかる?」

「ええ、わかるわ、本当に。例えば私が目を覚ましたときに10時12分だとするじゃない、で、また眠りに戻って、長い、複雑で美しくて、数時間も続くような夢を見て、また起きると、まだ10時13分。」

「そう、その通り。だからリアリーの言うその6分から12分の脳の働きが、自分の全人生であることだってありえる。つまり、君はその人生の出来事全てを振り返る老人なんだよ。」

「分かった。でもそうだとしたら、あなたはその中で一体何だと言うの?」

「とにかく今の僕だよ。つまり僕は君の意識の中にしか存在しないかもしれないよ。でも他の全てのものと同じくらい、リアルなものなんだよ。」