喫茶論

今日は、たばこの吸える「禁煙室」
という名前が自己矛盾した喫茶店に、行ってきた。
惜しいレトロさが漂う喫茶店だった。
金沢にはけっこうレトロだけど、いわゆる惜しいレトロさが、
なんともいえず悔しい喫茶店が多い。


その惜しさとは、なんというか、
アンティークな椅子やステンドグラスとか、
シブい匂いが漂ってるのに、時計の時報が、
ピロピローピロピロピーとか、
簡略化されたクラシックなどが一時間毎に流れるような、
いわゆる80年代風の電子時計とかが掛かっていたりする。


たぶん、店員とかは無自覚にあの統一感のない、
どことなく、チャンポンな感じに違和感を感じないのであろう。
でも、その無自覚こそが、レトロさを求めて喫茶店
ないしは純喫茶を探し歩くものにとっては、
なんとなくクリスタルな感じがするのである。


では、僕の求める「レトロさ」とは、なんだろうか。
時間の流れが止まったかのような雰囲気でいて、
確実に時間は流れているとも言えるアンティーク感が漂う喫茶店だ。
テレビが流れてるような喫茶店には、
その凛としたこだわりを感じられないどころか、
その時間の流れまでも、なにか大きな力に掌握されている気さえする。

あの興ざめ感は凄まじいものだ。

大抵、そのテレビをおっさんが見てるのは、巨人戦で、
去りがけに、軽くコメントを残していったりする。
また、そのコメントが(怒)・・と、まあ、
どうでもいい気もするので、この辺で。

金沢には、以前、ぼたんという純喫茶らしい純喫茶があった。
そこはもう皮肉にも、コンビニに変わってしまった。
なんか、僕が今まで支持してきたお店がバタバタと諸事情で閉店していくなか、
自分のマーケティング能力の低さと、
こういうへそ曲がりな命名センスを持つ頑固店主が減るのを憂っている。
ついでに、先日京都で髪を切ったら、怪しさが減ったのも危惧している次第だ。


僕@禁煙室

ミッチィがiPhoneアプリScribbleで描いた僕の似顔絵

禁煙室の看板