さもしい涙目

BGMにでもどうぞ!
http://8tracks.com/yupupe/yupupes-january-2009-mix

今日は、高校の時の同級生とカラオケに行った。おかげで、まだ眠い。作業療法士の学校に通い、勉強する学生さん。こないだ実習があって、僕と同じ病気の人の担当になったらしく、そういう話を聞く目的もあった。リハビリの重要性を語られて、三ヶ月前ほどに、医者と喧嘩になってから、まったく医療行為を受けていない僕にとって、ちょっと耳と心の痛い話であった。いやはや、最近の僕の身体の状態を書いておくと、杖だけでは歩行出来ない状況だ。杖と誰かの支えか、もしくは、壁をつたうなどしないと歩けない。だから外に一人で出るときは、もっぱら車椅子である。

彼女と話してて、僕は、過剰に謙遜する人間が苦手ということが、改めて分かったのだった。おそらく誰でも苦手というわけではないだろうし、謙遜の上手い人間の謙遜の仕方というのは、俄に謙遜だということすら気づかせない仕方で行う。謙遜という行為は、限りなく日本的な行為だ。だから、「周りの空気を読む」という過程の行為。でも、謙遜をする人というのは、心理的に「逃げ道」を用意している人に違いないのだ。

たとえば、テストの前に「全然勉強してなーい」とか言いながら、ちゃっかり点をとるヤツみたいな行為のことであり、そこでの「逃げ道」とは、「テストで悪い点数をとる」→「勉強してないって言ってたじゃん」という、最悪の結果の回避の機能がある。で、そういうことを言う輩は、大概しっかり真面目に勉強していることが多い。もしくは、周りを安心させることによって、自分の不安を取り除こうとする、というより、周りをアゲることによって自分をサゲる行為に一見みえるが、実は、逆の効果があるということを知ってか知らずか、やってのけるその下らない精神構造に吐き気がするというか。

結局、サウスパークのチンポマンかと思う。僕は、決して、常に真実のみを語ることを良しと思っているわけではないが、そういう卑劣な心理戦が行われている思考回路自体が、苦手なのである。そういう部分において、我が国の総理の言葉を借りると「さもしい」行為をする日本が大嫌いだ。

いやはや、日本の高校が嫌いだった理由を今頃になってやっと思い出した。

第12回 京都大学国際シンポジウム 「変化する人種イメージ —表象から考える」18

メモ的に。

それから、オバマ政権の駐日大使にジョセフ・ナイが決まったらしいが、なんかウケた。

テレビで初めて見るナイは、意外に男前で、痩せてたことが衝撃的だったのだった。ハードの次は、ソフトパワー(の著者)が大使という、元(悪のby Bush)枢軸国。その面影は今や綺麗さっぱりない。