僕らはみんなDJだった

空也上人という銅像の表情がヤバい!ググれ!とのメールを大学時代の友人からもらった。で、さっそくヒットしたちょっとよくわからない画像がコレ↓

ヤバさ確認したことを伝えると、更に彼の家の近所の寺のかたを御紹介あずかった。

いやはや、このヤバさを理解出来る人物と云えば、ロン毛にグラサンをかけたペテン師風イラストレータと僕らぐらいだろう。

今日は、1時くらいから、停電が起こったので(工事のためらしい)、とりあえず、近所の喫茶店「ぼんじん」へ。店内は、意外と賑わっており、流れ過ぎるジャズの音色は、ウェストコーストの香りがプンプンするポストコロニアル的状況を演出する効果的な演出だった(限りなきミクロの僕の中ではw)

店のあちこちで、経済がどうのやら、オバマがどうのやら、、を喋る人が多かったが、テレビを見てるのと変わらないじゃないかと、ふと思うくらい、徐々にボルテージの上がった会話は、ビートたけし的ないい加減さで、幕を閉じる。

「いやーオバマは、演説の技術がスゴいねーー」
「27歳だったかのスピーチキャスターとオバマさんが二人で考えたんだって」

と、ひれかした口調で、ぼんじんのマスターに話しかけるおっさんに、安っぽい正義感バリバリに出して「スピーチ[ライター]の間違いですよ」とは訂正してはないが、たぶん、演説が良いということをテレビで、コメンテーターの話を受け売って、あたかも、自分がオバマの演説を初めて見た日本人で、演説の英語と背景的状況を理解し、さらに、そのコノテーションやメタファーを読み取り、演説の良さを理解出来るかのような口調であった。もしも、それらが真ならば、キャスターとライターを間違えはしない。

自分の意見とはなんだろうか。僕の意見も、限りなく透明に近いブルーであり、僕が考えたと思わせといて、その実は、しばしば引用であったり、参照しているので、いわゆる他人の意見のサンプリングで、僕のオリジナルな意見だと主張することは非常に眉唾である。


僕は最近、(人文系の)学者はDJであると思うことが多い。左右のターンテーブルに置かれたレコードを使って、あたかも自分の楽器を演奏している感覚に近いかたちで、左右に置かれた誰かが作ったレコード(先行研究)をミックスして、自らの曲、演奏としてアウトプットするわけだからだ。その過程において、DJがレコードなしでプレイ出来るわけもなく、先行研究なしの研究はあり得ない。