男の性

いやはや、暇の成せる技、iPhotoシャッフル。
つまり、iPhotoのシャッフル再生。音楽ではiTunesでシャッフル機能を使うことは、今や日常チャ飯事なのだが、なぜか今日になって、iPhotoでシャッフル機能があることに気づいた。シャッフル再生していて、気づいた点。

僕のパソコンにある画像は、女の裸ばかり。。(8割)

それも、こういうテンションで見ると、なぜこんなに乳や尻や局部(女性自身)の画像をコレクションしているのだろうと、我に返り本気で凹む。いつかどこかで見たような、同じような形状の物体の、多少の違いに一喜一憂している自分が惨めに思えてくる。SIONの歌に、

二人に疲れては
一人に戻り
また誰か恋しくてまた繰り返す
屋根の上の猫がそんな俺を見て
珍しいもんでも見るような顔して笑った
〜『12月』

とあるが、まさにその通りで、欲望の需要は果てしないループの「繰り返し」だ。もういらない・・なんて、思ってみたところで、また腹は減るし、眠くなり、悶々とする。この無限ループから抜けだす方法は、涅槃に入るしかない。つまり、死ぬということだ。まだ若い僕には、死のイメージはかなり漠然としたものだが、欲望の無限ループから解放されるのだから、108回の鐘を鳴らすのは貴方的な意識は辛うじてある。

最近、いやに、自分が学生であるというアイデンティティを失いそうになる。それは、「学生」であるというアイデンティティが、「病人」であるというアイデンティティに負けてしまうことだ。やはり、社会的なアイデンティティは、一社会において、一つで十分だと思われる。まあ、華麗に複数を使い分けられるほど器用ならば、逆に、アイデンティティなんてもは必要ないかと思う。そういえば、今ちょうど、Hallの"Who needs Identity?"という論文を読み始めた。

いやはや、そろそろ、何か書かないと知識の迷子になってしまいそうだ。ブログなんか更新してる場合ではない気もするのだった。