他人目線の幸せなんてクソだ

「他人目線の幸せなんてクソだ」



ということを気づかせてくれた。
今回の恋愛は。


よくよく考え直してみれば、
大学4年の夏、「脊髄小脳変性症」だと診断されて、


「あーお先真っ暗じゃないか!」


と、人生を悲観的に見てた。


それから、大学院に進んで今に至るのだが、進学理由の一つとして、
「就職したくねー」っていう気持ちがまったくなかったと言えば嘘になるだろう。まあ、チョムスキーを通じて「研究」に興味を持ったっていうのも、言い訳的に付け加えておく。


彼女と付き合っていて、執拗にも二言目には「仕事が忙しい」という台詞を吐く彼女を通じて、一日中読書をしてあーだこーだ言ってる自分が、生産性のない、情けない、「仕事」がないちっぽけな存在だと感じていた。


そういう経験を通じて、「就職したくない」から、「就職できるって素晴らしいよな」っていう意識に、病気の進行を経て、変わっていった。


結局、「28歳ならこうしているべき」的な、他人目線の価値観で判断していた自分の愚かさがあったんだと思う。よく、「あなたの年収それでいいのですか?」といった他人目線の固定観念を植え付けるような、ADを見かけるが、そんな発想自体が愚の骨頂であるように思われる。


僕の家は、田舎の小都市にしては珍しいほど自由な風潮がある。
それは、僕に紹介された友人の多くが認めるところである。

理由は、親父が、山形の小都市から、
自分の自由を追求して出てきた人間だからだ。


親父はよく言う。


「おまえの好きにしろ。バックアップは任せろ」と。


そのスタンスは、僕が病気になってからもなる前も変わっていない。


親の目的は自分の目的である。
なぜなら、親は他人ではないからだ。
僕ら子供は、親の期待に応えようと、
努力し、反発する生き物である。


一日中、研究に没頭できる時間があって、
三台のパソコンがある僕の研究室と化した防音のピアノの部屋があって、
好きな面白い研究がさせてもらえてるし、
担当教授はそんな僕に理解があり、
授業なんて来なくてもいいと言ってくれるという、
実は、過去に理想とした未来に僕は立っていたのだ。



というようなことを、昨日、
恥ずかしげもなく「人気者の私が石川で初めて会ったのがゆうさん」と言いはなった、のぞみさんと話した。



よく考えてみれば、彼女は、僕がやっと気づいたことを、
既に体現してるのだったな。釈迦に説法だったな。